桃太郎炎上CMから見るネット自治は悪?子供が真似したらどうする最強説

ACジャパンの桃太郎をモチーフとしたネット炎上のCMが秀逸すぎます。

川で桃を拾ったおばあさんに対して、「窃盗だろ」「桃がかわいそう」「子供が真似したらどうする」「家族も許すな」「早く謝ってください」などなどの投稿がなされ、これはかなりの物議ですよね。

「悪意ある言葉が人の心を傷つける」というキャッチコピーで、ネット炎上のやりすぎに対して苦言を呈しているのですが、この辺りのバランスって実際にはかなり難しいところです。

炎上は悪なのでしょうか。

目次

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ネット炎上は悪なのか?

ネット炎上は一概に悪とも言い切れません。その度合いが問題です。

ネット炎上するからこそ行動を律する部分もありますし、自治として機能している面もあるはずです。力のないもののひとつの武器でもあるんですよね。

ただ、力のなかったものが武器や権力を手にすると、その加減がわからずに暴走してしまうというのはどの世界においてもありがちなことで、これは政治や軍といった国家単位で見ても例外ではないでしょう。

問題はこの線引きとバランスなんですよね。

薬も過ぎれば毒になる

線引きとして、他人に迷惑をかけるかがひとつのラインだと思います。

何をもってして迷惑となるかはそれぞれの感覚にもよりますが、法に触れてはいけないというのが法治国家でのルールです。

じゃあ、法に触れなければいいのかというとそうでもないんですよね。

法に触れずに、しかも自分でいいことだと思って行動していることが、自治として行き過ぎているというのが、今回のACが桃太郎のCMで訴えたかったことのはずです。

思ったまま感情的に行動するのではなく、少し相手の立場にも立って考えてみようという提議です。

少しだけでも相手の立場になって考えると、意外と客観的に物事が見えてくるんですよね。これは自己成長においても重要なことですが、相手の顔が見えないネットでも考えておくべきことでしょう。

薬も過ぎれば毒になる(良いものも度を過ぎると害になる)や、過ぎたるは猶及ばざるが如し(度を過ぎると足りないのと同じくらい良くないこと)ということわざは、自治と炎上の関係にも当てはまるのかもしれませんね。

子供が真似したらどうするって言われたら何もできない

子供が真似したらどうする

これってかなりの最強カードだと思うんです。

このツッコミによってほぼ全ての言動に注意書きをしなければならなくなってしまうほどでしょう。

  • 大食い⇒胃腸に悪い!子供が真似したらどうする
  • 一気飲み⇒喉が詰まる!子供が真似したらどうする
  • 自転車で日本一周⇒危険もたくさん!子供が真似したらどうする
  • 勉強しなくても社長⇒成功するのは一部だけ!子供が真似したらどうする
  • 深夜までゲーム配信⇒遊んでばかり!子供が真似したらどうする
  • ごはん抜きダイエット⇒健康に悪い!子供が真似したらどうする
  • 子供が真似したらどうするって怒る⇒怒りっぽく成長する!子供が真似したらどうする

なんだかよくわからなくなってきましたが、これほとんど成立しちゃいますよね。辛い思いをして何かを成し遂げることなんかはほぼ当てはまっちゃいます。

それが結果的にプラスの要素であったとしても、万人にとってリスクなく有益ということは難しいので、全員に配慮しろと言われると世の中に何も発信ができないという状況にも陥ってしまいます。

しかし、現状のパワーバランスは、多少の理不尽さがあったとしても、文句を付けた方が有利になっていくバランスにも感じてしまいます。

ネットは数が力(ネットだけじゃないけど)

現在のネットに対する善悪基準って、個々のリテラシーやマナーに依存する部分が大きいのも現実なんですよね。

そして全員が全員、適正に善悪の判断をできるということはむしろ稀で、どこまでが許せない範囲かは個人差が非常に大きい部分でしょう。

ただ、数は力です

これはネットだけではありませんが、ネットは数が集まりやすい性質があるので、目立つ事象に対してどうしても力を持ってしまうんですね。

ネットという広大な世界と強大な拡散力ですから、10000人中9000人が許せても、残りの1000人が許せなければそれは大きな力に膨らみます。

そこに面白半分で乗っかる人も少なからずいて、相対的な割合としては少数派でも、絶対数はどんどん増えていきます。

ネットの、安全圏から攻める快感や優越感もいい方向に出ないのでしょうね。これは実際のデモや抗議活動などと比べて、無責任感は強い傾向だと思います。

これをある程度までは制限する方法はあるにしても、結局のところ個々の判断に委ねる部分が大きいので、ACが桃太郎炎上CMで提言したような、共感しやすい演出で意識を高めるというのが効果的なのかもしれません。
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桃太郎炎上CMは共感として秀逸だった

桃太郎のCMは、善として考えられてきたおばあさんをやり玉に挙げたことによって、ネット炎上される側の悲壮感をわかりやすく共感させたと思います。

自分のおばあちゃんが攻撃されたような感覚を味わった方も多いのではないでしょうか。

私もあのおばあさんを見て妙に心が痛み、色々と考えさせられるものがありました。

ただ、ツッコミコメントも確かに頷けるところもあるんです。言われてみると、あの桃は他者のものかもしれないし、なんなら桃太郎は他人の子供かもしれないんですよね。

桃太郎の違法性は?

実際に桃太郎のケースは、自然に生ったにしては不自然な大きさの桃ですから、他者の遺失物の可能性が高いと考えられ窃盗罪に該当する可能性があります。

そして、赤ん坊が入っていたということは、他人の子供という可能性が非常に高く、これを届け出ずに育てたのは略取・誘拐罪に当たる可能性がありそうです。

昔話だからと普通は理解はできますが、「拾った桃は勝手に食べていいの?」「拾った子供を育てていいの?」と子供が学んでしまう可能性まで考えると、確かに気になる人は気になってしまうかもしれません。

昔話だから見逃されるのであって、これが実写ドラマだったとして、川に流されてきたカプセルに入っていた子供を勝手に育てると問題になりそうな気がします。

ちなみに本来の桃太郎のストーリーは、桃を食べて元気になったおじいさんとおばあさんが子供を作ったという話で、これが改変されて現在のストーリーになったようですね。

しかも、桃太郎は鬼に対しての強盗行為を行っています。不法侵入や器物破損もですね。

元々は村から盗まれたものだったとしても、桃太郎は警察や役人ではないので、それを力ずくで奪い返すというのはどうなのでしょう。正当防衛の範囲とも言えない気がします。

鬼が人間に属するのかどうかが微妙なので、許される話なのかもしれませんが、姿形が違う生き物なら仕返しをしてもいいのかという問題にもなってしまいます。

まあ、創作話の矛盾点を突いたり、現代の法と照らすのが無理はあるんですけども。

あるゆる方面に配慮した面まで考慮すると、何も創作できなくなってしまいますね。うーん、難しい。

ただ、最近のテレビ等では、悪役等が車で走る演出の際もシートベルトをしなければならない風潮ですし、創作物をどこまで現実に則したらいいのかというのは大きな問題のひとつの気がしています。

嫌われる勇気と理解する勇気

何事もそうですが、不特定多数の目に入ってしまうネットでは特に、全員が納得する絶対的に正しい意見ってほぼ不可能に近いと思うんです。

なので、嫌われる勇気がないと何も発信できなくなってしまう部分も大きいのではないでしょうか。

不特定多数に向けて発信する側は、配慮をしながらの嫌われる勇気を持ち、個人に向けて意見をぶつける場合は嫌われる勇気よりも「理解する勇気」の方が大切かもしれません。

粗探しや揚げ足取りをすれば、否定ポイントなんていくらでも出てきちゃいますからね。

難しいバランスですが、不特定多数に向けて発信する時と、個人に向けて意見をぶつける時では意識する度合いを変えていくのが、より良いネット社会を形成して成熟していくバランスなのだとも思います。

 

まとめ

桃太郎炎上CMから、ネット炎上は悪なのかを考えてみましたが、ネット社会の現代にとっては非常にデリケートな問題でしょう。

揚げ足取りや粗探しができたら勝ちの風潮や、しつこい方が強いというのはネットの世界に限りませんが、数の力が揃いやすいネットの世界のパワーバランスは偏った方向にも向かいがちです。

ただ、ネット炎上や自治があるから救われたこともたくさんあると思うんですよね。

明らかに間違っていて許せない社会悪を、ネットの力によって抑えることができたという例もたくさんあるはずで、行き過ぎとのバランスが難しいのですが。

思ったまま感情的に行動するのではなく、少しだけ相手の立場にも立って考えてみるだけで、ネットの世界も適正なバランスに向かっていくのかもしれませんね。

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