僕たちがやりました最終回ネタバレと感想 幸せってなんなの?

男子高校生の普通の日常から、罪の意識を深く描いた「僕たちがやりました」ですが、様々な展開からあの最終回に着地したわけですね。

僕たちがやりましたの最終回感想などを書いてみたいと思いますが、ネタバレを含みますので、ネタバレ嫌いな方はご注意を。

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僕たちがやりました最終回(ネタバレあり)

僕たちがやりましたの最終回付近の展開ですが、罪の意識に苛まれ、紆余曲折のあった高校生活から数年が経過し、トビオたちは社会人となっています。

トビオはタレントマネージャー、マルはマルチ商法、伊佐美は今宵と結婚(2児のパパ)、パイセンは刑期が終わりお笑い養成所通い。

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トビオは「蓮子といると事件のことを思い出してしまう」と蓮子とは別れ、夏っちゃんという新しい彼女と同棲をしていて結婚間近な設定です。

そこにパイセンが出所してきて、また4人で集まるわけですが、ここにそれぞれの立場からのトラブルが生まれるわけです。

相変わらず欲望自己中なマル、本音を漏らす伊佐美、外面のいいトビオ、仲間がいればそれでいいパイセンといった感じで、それが大人になって悪い方向に出てしまい、それぞれの道へ歩んでもう会わない方がいいという流れになります。

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トビオは彼女の夏っちゃんの妊娠がわかり、人並みの幸せを味わおうと過去の罪に蓋をしますが、そこに殺人で目立ちたい少年がたまたまトビオを標的にし通り魔的犯行を行います

これにトビオは「待ってたよおおお」と、さあ殺してくれと服を脱ぎ、なにかの境地に達します。

殺人をしたいときに進んで殺されたい人が現れると、好都合どころか不気味さを覚えるのが人間の心理でもあって、この少年は犯行をやめてしまい、トビオはどこか残念そうに日常へと帰っていきます。

街中で出会った、障害を持った車椅子の青年ケント(ヤバ高爆破事件の被害者)に「あっあー…こいつ…」と指をさされるわけですが、「知らねっす」ととぼけられる強さ(弱さ?)も見せます。

そして子供が生まれ、「そこそこで生き、いつかその日が来たら死ねばいいだけ」と過去を思い出すと、爆破事件の時に邪悪な顔で笑っていたトビオがいたという最終回でした。

僕たちがやりました全体のあらすじはこちら
僕たちがやりましたが面白い!あらすじとネタバレ

僕たちがやりました最終回感想

僕たちがやりましたの最終回としては、きっちりと終わらせるより、余韻を持たせた最終回だったので、諸々を読者の創造に任せるタイプでしたね。

個人的にはなかなか良かった最終回ではないかと思います。(後半が少し迷走感があったにしては、まとめたなという印象です)

人によっては、あの最終回を「何それ」という方もいらっしゃるかもしれませんし、「人は基本悪なのか」という感想をお持ちの方もいらっしゃるでしょう。

ただ、トビオは死の覚悟ができているので、基本的に罪の意識に耐えかねていると思うんですよね。

パイセンはそれが溢れ出し、異母兄弟の思いも溢れて逮捕劇にまで至ったわけですし、負の側面を描きまくった作品だったと感じます。

対比として、マルはお金に走り、伊佐美は普通に家庭を築きました。(この2人にも様々な葛藤があったのだと想像しますが)

常識と非常識は紙一重で、なにかのきっかけでそれは簡単に覆り、その逆もまた然りということを実感できた漫画でした。

そして、プラスがあるからこそマイナスはより恐ろしいし、マイナスの状態からはゼロになるだけで幸せを感じられるけどすごく難しいことという幸せの相対性をテーマにしていたのではないでしょうか。

これは蓮子との恋愛などでも描いていた部分ですね。持っているからこそ失うのが怖いという相対性です。

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幸せは絶対的ではなく相対的

これは常々思うことなのですが、幸せを感じるのって絶対的なものではなく、なにかと比べた相対的なものなのではないでしょうか。

誰かと比べる外的要因なのか、自分の中の過去系列と比べる内的要因なのかはぞれぞれでしょうし、両方でもあると思いますが、幸せがずっと続くと特段幸せに感じないというのが人間だと思います。(例外もあるでしょうけど)

例えば、周りの人が全員100万円宝くじで当たったとして、自分だけは当たらなかったとします。不幸に感じませんか?

逆に周りの家に全て停電が起こったとして、自分の家だけが通電していたとしたらラッキーと思いませんか?

これって自分は何も変わっていないけど、周りと比べて相対的に幸福度が上下するという感覚で、例としては適当ですが、なにかしらが誰しもが思い当たることだと思います。

昨日まで1億円持っていたのに何かで損をしてゼロ円になったら絶望感を感じると思いますし、体調が悪かったのが治っただけで幸福感を感じ者と思います。

自分の中の状況の変化で、結局は元通りになっただけだとしても、過去の状態から比べて現在がどうなのかでも幸福度の感じ方は違うはずです。

当たり前は幸せじゃない

幸せが当たり前になると、それを幸せと感じなくなると思うんですよね。

贅沢な環境になったとしても、それを失うのが怖くて、むしろ不幸な人もたくさんいますし、それは裕福が続いているはずの日本の自殺率や不幸度を見ても明らかでしょう。

裕福でもそれを当たり前に感じると、逆に無いものに目を向けて勝手に不幸さを感じてしまうんですね。

無ければないで有るものに感謝できるのに、むしろ大半を持っているから少しだけ足りないものにばかり気が行ってしまうという謎の感覚ですね。

全ての人がそうとは言いませんが、この感覚に同意していただける方も多いのではないでしょうか。

トビオは幸せなのか

話がなんだかズレた感ですね。

僕たちがやりましたのトビオはどうなのかというと、幸せで蓋をしてるという表現がぴったりで、罪を償っていない以上、ふんぎりがつくなくてずっと引きずっている状態です。

おそらく、ゼロに戻るだけで幸せを感じられるはずなのでしょうけど、ゼロの状態に戻るということは償い以外にないのかもしれません。

相対的に感じられるはずのそこそこの幸せが、絶対的な罪が生まれてしまったことによって、どうしてもそこをクリアしなければ幸せを感じられなくなってしまったのでしょう。相対的に感じることのできる幸せとは案外重要なものなのかもしれませんね。

トビオがマルや伊佐美に比べて弱いのでしょうけど、色々な幸せ要素を付け足していっても絶対的な部分が埋まらないのでゼロにすらならない常時不幸状態なのでしょう。

パイセンはその点、ゼロの状態に戻っただけでどこか幸せそうです。人間性が一回り大きくなったので、色々と考えるものがあったのでしょう。

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まあ、トビオは元々「そこそこ」を目指していたけど、これって贅沢なんですよね。不足がない状態を「普通」と勘違いして、「普通でいい」と無意識の贅沢を貪っている人間への皮肉なのかもしれません。

この辺のトビオのラストはドラマ化でどう描かれるのか注目です。あの邪悪な笑顔で終わるのでしょうか。

追記:どうやら公式サイトによると、原作とドラマラストのオチは違うようです。これはめちゃくちゃ楽しみですね。

最後に

僕たちがやりました最終回をネタバレ含め感想などでしたが、僕たちがやりましたのテーマとして「幸せとはなんなのか」ということが根幹なのだと思います。

そこそこでいいという無意識の贅沢への皮肉も含まれているのかもしれませんね。

まあ、なんだかんだと脱線した気もしますが、僕たちがやりましたは個人的には「罪と罰」に近い哲学的なものを感じてしまいます。

作者の金城さんによると僕たちがやりましたはギャグ漫画らしいですが、考えさせられるものの多い良作漫画だと思います。ドラマ化にも期待してのこの辺で。

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